※このページのアイキャッチ画像はAIにより作成されたイラストです。
除去食スタート。暮らしのすべてが変わった
まずは、情報収集
食物アレルギーが確定してからの暮らしは、見える景色が変わったくらい、全てが一変しました。まずやったのは「情報収集」。
アトピーに関しては長年の経験と知識もあり、自信もありましたが、「食物アレルギー」はまったくの未知の世界。わからないことが多すぎたので、本やブログ、病院の冊子やガイドライン、体験談など手当たり次第に読みあさり、わが家なりの方針を固めていく作業が始まりました。
中でも一番参考になったのは、食物アレルギーの子を持つ方のブログで紹介されていた『アレルギーっ子の入園・入学安心マニュアル(佐守友仁 著)』という本でした。診断から学校生活、日常や旅行の場面別のアドバイスまで網羅されていて、砕けた調子で寄り添ってくれるその内容は、のちに私の“バイブル”となっていきます。

【中古】 アレルギーっ子の入園・入学安心マニュアル 給食、体育、あそびから緊急時の対応まで/佐守友仁【著】
※この本は2007年発行のため、当時はとても有効な内容でしたが、現在はさらに進化した情報や方法がある可能性があります。参考にする際は最新の情報と併せてご確認ください。
命を守るための暮らしが始まった
息子にとって乳は毒と同じ、自分の自分の
「ちょっとくらい大丈夫でしょ?」が命取りになる可能性がある。
実際に、他の人が乳製品を食べた後口から飛んだ唾液がついて蕁麻疹が出てしまうほど重度。これも、初めは腕や顔、足に一粒だけボコッと蚊に食われたような蕁麻疹が出ることがよくあり、何だろうと思っていたら佐守先生の本で正体がわかった。
食事の準備や食材の選定、ラベルの確認、調理器具の管理、すべてが“息子を守るための行動”に変わりました。
家族の食事時間が「命を守る時間」になったといっても大げさではなかったと思います。
アレルギー食材をひとつたりとも入れない決断!
家にアレルギー食材をひとつたりとも持ち込まないと決めたのは、管理の手間を減らすためと、間違い防止のためでもありましたが、一番の理由は「家の中くらい、私が心配せずに過ごしたかった」から。
外ではずっと気を張っている。 誰が何を食べたか、どこを触ったか、何に口をつけたか……。
だからせめて家の中だけは、安心できる空間にしたかった。
そしてそれは、上の子と一緒に相談して決めたことでした。
当時3歳だった長男に、弟がみんなと同じものを食べられないこと、その理由を説明し、「一緒に弟を守るチームになってくれる?」と相談したんです。
当時の彼がどこまでわかって承諾したかはわからないが、それ以降、弟を守るナイトとして頼れるパートナーとして活躍してくれました。
使える調味料は「塩」と「甜菜糖」だけ。でも奥が深かった
離乳食が終わった頃から、下の子は豆腐(大豆)やうどん(小麦)にも反応するようになっていき、使える調味料はほとんどなくなっていきました。
最終的に安心して使えたのは、塩と甜菜糖。
でも、ただの塩ではありません。
当時テレビで見た「人によって“美味しい”と感じる塩が違うのは、足りないミネラルを身体が教えているのかもしれない」という話に影響を受け、藻塩、岩塩、天日塩など、いろんな種類のミネラルが豊富そうな塩を買っては、息子の好みに合うかどうかを試しました。
息子が「うまい」と感じる塩を探すのは、食事制限の中で数少ない前向きな楽しみであり、塩ビュッフェを開催したり、マイ塩ブームが起きたり塩成金生活を楽しみました。
味覚が変わった日々の積み重ね
家族全員で息子の除去食に合わせた結果、大人の味覚も自然と変わっていきました。
最初は「修行か!?」と思うような食卓も、旬の野菜や魚を選ぶ(旬の食材の方がアレルギーが起きづらいらしい)ようにしたら、次第に「味が濃くてみずみずしい」と感じるように。
豪華ではないけど、元が美味ければ質素でも美味いのだ。
そして、当時のごちそうといえば“5日おきの豚肉”でした。( 佐守先生の本を参考にこれ以上アレルギー食材を増やさないため回転食をしていました。)
肉では豚肉だけはアレルギーがでなかったので、「今日は豚肉の日だー!」と子どもたちが大盛りあがり。豚シャブを塩でいただく幼児たち…。
長男は幼稚園で「ママの料理で好きなものは?」と聞かれ「豚肉〜!」と答え、会場を沸かせていたなー😁
自分を守り、家族を守る毎日だった
職場に子供を連れていっていたので下の子を職場や外に連れて出るとき、常におんぶをしていました。
どこで何が飛んでくるかもしれない、触れられてしまうかもしれないという緊張感の中で、私にできる最も確実な方法は「物理的に距離を保つこと」だったからです。
おんぶして、守る。 息子に触りたい人が寄ってきたら、後ろを取られないようディフェンスする。(こんな所で昔習った柔道が役に立つとは!!)
でも家の中だけは、心の底からホッとできる場所にしたかった。息子たちにも何も気にせずくつろいでほしい。
やっと安全に暮らす前提ができた
家族で同じものを食べ、同じルールのもとで暮らす。
息子が何か食べたいと思った時、”誰に聞かなくても”家の中にある”何を食べても”アレルギーが出ることがない安心して暮らせる安全な家。
安心のベースができたことで少しだけゆとりができたように思います。
食べることが大好きな長男は、定期的にじじばば宅に甘やかし前提のお泊まり日を設け、ストレス大解放をしていました。
次回は、食物アレルギー児のいる旅行や行事について書いていこうと思います。
コメント